北スペインの建築
Arquitectura del Norte de España
先史時代からローマ文化、フェニキア文化、ギリシア文化、ケルト文化、イベロ文化、キリスト教文化、イスラム教文化、ユダヤ教文化そして現代文化まで、スペインの歴史を紐解くと、万華鏡のように目まぐるしく、混在し、共存し、対立し、融和してきた文化に出会います。
地域によって、重層的かつ鮮やかに濃淡を変える文化と歴史は、建築物という姿で過去と現在を結んでいます。世界遺産の数からも伺えるスペインの文化遺産が持つ多様性は、歴史を目で見て感じられるという点で世界に類を見ない独自性を放っています。アルハンブラ宮殿やコルドバのメスキータ、ガウディ建築がその代表例ですが、スペインの建築物の魅力は有名なモニュメントに留まりません。
北スペインにはどのような建物があり、何を語っているのでしょうか。モニュメントから見る歴史探訪の旅へ出発です。
- 北スペインの建築物とは?
- プレロマネスク
- ロマネスク
- ムデハル
- 大聖堂
- モデルニスモ
- 自由に選ぶ旅
北スペインの建築の特徴
スペインの歴史は目に見えます。それは、長い時間をかけて蓄積された文化や歴史が、建築物や街並みにしっかりと足跡を刻み、評価され、保存されているためです。先史時代の遺跡から、ローマ建築、ロマネスク建築、ゴシック建築、ルネッサンス建築、バロック建築、モデルニスモ建築、現代建築へと続く、西洋美術史のうねりが見えるばかりでなく、建物のひとつひとつが土地の風土や歴史を秘めている点が、スペイン建築の最大の魅力でしょう。建物に目を凝らし、耳を澄ますと、都市が最も輝いていた時代の空気感や囁きが確かに聞こえてくるのです。
西洋美術様式はスペインだけではなく、ヨーロッパ全体で共有された美の概念です。ヨーロッパ全体に広がったこれらの大きな流れと、北スペイン固有の物語が重なる瞬間に生まれたのが、この地に残る歴史的建造物です。北スペインのプレロマネスク様式やロマネスク様式はサンティアゴ巡礼という宗教的要因、「国土回復運動」という歴史的要因、そして、北スペインの地形という地理的要因からなる前提条件がなければ、建てられることはなかったでしょう。ゴシック時代とバロック時代に大変身を遂げた数々の大聖堂も同じです。また、中世スペインを象徴するムデハル様式は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教という三つの宗教がわずかな時間であっても共存した「文化の十字路」としてのイベリア半島の魅力を確かに示しています。キリスト教建築であるにも関わらず、イスラム風の外観を持つ建築は、スペインの歴史なくしは生まれなかった産物です。サグラダ・ファミリア教会の生みの親であるガウディに代表されるモデルニスモ建築は、スペインで唯一産業革命に成功したカタルーニャの経済や地域性なくしては開花することはなかったでしょう。西洋美術という大きな流れと、地域の固有性が結びついた結晶は、土地の歴史を色あせることなく雄弁に語るのです。
これら歴史的建造物を現代の私たちが「鑑賞する」意義とは何なのでしょうか。有名だから見てみたい、ガイドブックでお勧めされているから見てみたい、という理由が多いかもしれません。しかし、建物とは、時空を越え、今と昔を繋げる架け橋であるという視点から鑑賞してみると、日本から遠く離れた土地の建築物が更に身近に感じるかもしれません。そんな気持ちにさせてくれる、金言があります。
だれもが歴史を、そして過去を目でしっかりとたしかめられること、これが一番でしょう、と女性館長の説明が続きました。「古いものの前に立つと、歴史が、過去が、そして消え失せたはずの時間が、すべてのものが、一瞬のうちに目の前へ立ち現れてきます。そのことによって、だれもが、自分が現代に孤立して生きているわけではないという真理を直感するんですね。そして自分が過去と未来をつなぐ役目を背負っているという責任を自覚します。大事なことは、こういったことがすべて人間を勇気づけるということです。そこで二十世紀の初めごろから、イタリア全土の重要な文化財を保護することは、国民に対する、そして人類に対するイタリア国家の責務であるという考え方が生まれ、そしてたちまち、あらゆる思想の主流になりました」 井上やすし (2008)『ボローニャ紀行』、文春文庫
井上ひさしさんがイタリアのボローニャを訪ねた際に、イタリア女性図書館の館長が語った言葉は、国は違えど、スペインの建築物を通して感じられる説得力に確かに通じるものがあるのではないでしょうか。
北スペインのプレロマネスク ── スペイン中世美術の小さな水源
プレロマネスクとは
プレロマネスク様式は、ローマ美術が終焉する 5 世紀から、ロマネスク様式が始まる 11 世紀までの間に、旧ローマ帝国の領土を中心に花開いた美術様式です。ローマ美術の特性を受け継ぎながらも、西ゴート王国やカロリング朝、東ゴート王国など、地域独自の変化や多様性を持って発展しました。
時代背景
スペインでは、農村地域に点在する教会や礼拝堂などのキリスト教建築を建てるために使われました。8 世紀以降、イスラム教徒による支配はイベリア半島のほぼ全域に及び、キリスト教徒は北スペインへ逃れます。ピレネー山脈やカンタブリア山脈が連なる山がちな地形は敵から身を隠すのに最適だったのです。こうして、北スペインを中心にキリスト教徒による「国土回復運動」が開始されます。キリスト教徒がもともとは治めていた領土を、イスラム教徒から「奪還する」ことが目的でした。このような時代背景の中で、北スペインを中心にキリスト教建築の建設が進められました。
特徴
半円アーチや積み石法にローマ建築の技術が受け継がれた形跡が見られますが、建物の規模は円形劇場やフォーラムなどのローマ建築に比べると、小規模です。また、質素な建築資材や、イスラム美術から影響を受けた馬蹄型アーチ、木造の屋根、円や十字架を使った簡素な浮彫装飾には、古典美術とは大きな違いが見られます。最も目を引くのは、聖書物語を伝えるために発展した壁画や柱頭彫刻、浮彫彫刻、装飾写本の細密画です。識字率の低い時代に、目で読む聖書として誕生し、後に続くロマネスク美術で更なる発展を遂げました。
例
北スペインにおけるプレロマネスク建築の代表例は、アストゥリアスのプレロマネスク建築群と、モサラベ様式の建築群です。
アストゥリアスのプレロマネスク建築群
アストゥリアス州の州都オビエドとその周辺地域では、中世前期を代表する、8 世紀~10 世紀に建てられた初期キリスト教建築を見ることができます。イベリア半島初のキリスト教王国であるアストゥリアス王国の繁栄を裏付ける建築物は、小規模ではあるものの、1000 年以上の時が過ぎた今なお、素晴らしい保存状態を保っています。1985 年に「アストゥリアス王国の教会群」としてユネスコの世界遺産に登録され、1998 年には 6 つの建築物が新たに加えられ「オビエドとアストゥリアス王国の建築群」に改名登録されました。
オビエド市には、大聖堂の宝物庫「カマラ・サンタ」や壁画が美しいサン・フリアン教会があります。市郊外の丘には、アストゥリアス様式を代表するサン・ミゲル教会とサンタ・マリア教会が建っています。その他にも、小高い丘の上にぽつんと佇むサンタ・クリスティーナ教会や豊かな自然に囲まれたサン・サルバドル教会など、オビエドを起点に様々な教会群を訪ねることができます。
モサラベ様式のプレロマネスク建築群
9 世紀~11 世紀にかけて、アストゥリアス様式が終わり、ロマネスク様式が始まるまでの時代に、コルドバのウマイア朝の建築様式から大きな影響を受け、生まれた建築様式です。「モサラベ」とはイスラム教徒支配下に暮らすキリスト教徒を指す言葉です。もともとイスラム教徒の支配下で暮らしていたキリスト教徒が、イスラム教徒の手を北へと逃れ、発展させた建築様式がモサラベ建築です。コルドバのウマイア朝は、西はタホ川以北から、東はエブロ川以北にかけての領土を収めていたため、モサラベが逃げ延びた当時の国境線付近に数多く建てられました。具体的には、現在のカスティーリャ・イ・レオン州北部、カンタブリア州南部、ラ・リオハ州、アラゴン州北部、カタルーニャ州北部にかけて点在しています。
代表例として、馬蹄型アーチの美しさが際立つサン・ミゲル・デ・エスカラーダ修道院 (レオン県) 、スソ修道院 (ラ・リオハ県) 、中央ピレネーの渓谷に点在するセラブロ教会群 (ウエスカ県) などがあります。
北スペインのロマネスク ── キリスト教建築の形成がはじまる
ロマネスクとは
ロマネスク様式は、11 世紀以降に始まった、中世ヨーロッパにおける初めての国際的な美術様式です。「ロマネスク」という言葉は「ローマ風の」という意味で、ローマ美術の建築様式を受け継いでいます。キリスト教的封建主義という中世ヨーロッパの社会構造や、聖地巡礼の絶頂期という時代背景の中で発展したため、主に教会や修道院などの宗教建築に用いられました。スペイン・アラゴン州に位置するロア―レ城は、ロマネスク様式が要塞建築に用いられた珍しい例です。
時代背景
プレロマネスク様式と同様に、11 世紀~13 世紀のイベリア半島における、キリスト教徒の支配領域は、北スペインに固まっていました。そのため、ロマネスク建築もまた北スペインを中心に多く残っています。深い山に隠れていたキリスト教徒は小さな伯爵領をつくり、王国へと姿を変えながら支配領域を拡大していきました。山から平地へと領土が拡大していくにあたり、都は遷都し、新しい教会が建てられました。そのため、山奥へ入れば入るほど、古く小さなロマネスク教会や礼拝堂、修道院が多く、平地へ行くほど新しく大きなロマネスク教会が多くみられます。
特徴
平面図はバシリカ型と呼ばれるボックスのような形をしいます。建物の全体の重量を支えたのは、厚みのある切り石が積み重ねられた壁です。外観はまるで石でできた箱のような重量感を持っています。壁の強度を損なわないよう、窓は細長くくり抜かれ、その数は最小限に留められています。そのため、内部はひんやりと涼しく、薄暗いのが特徴です。1000 年の時を耐えてきた、頑丈なつくりです。内部の柱はリブで補強され、石造りにしては高い天井が実現している場合もあります。
装飾の数は少なく、簡素で左右対称であることが多いです。ボール状の装飾やハカの市松模様は、サンティアゴ巡礼の影響もあり、北スペインで広く用いられたシンプルな装飾です。彫刻や壁画は識字率の低い時代のキリスト教布教ツールとして、大いに活躍しました。外壁や内壁一杯に描かれたフレスコ画には、黒く太い線と鮮やかな色彩で、遠近法を無視して強調されたモチーフが、圧倒的な存在感で描かれました。柱頭やタンパンを飾る彫刻はバランスもプロポーションも全く取れておらず、動きも表情も乏しい、現実とはかけ離れた姿であるにも関わらず、神秘的な魅力を秘めています。ロマネスク美術は、ローマ美術で結実したリアルな描写とはかけ離れた、拙い表現であったにも関わらず、崇高でスピリチュアルな世界観を生み出しており、見る者に強烈なイメージを与えます。
例
北スペインに多く残るロマネスク建築の中でも、特に有名なものとして、ボイ渓谷のロマネスク建築群 (レリダ県) 、ロアーレ城 (ウエスカ県) 、サンティアゴ大聖堂 (ア・コルーニャ県) などがあります。その他にも、北スペインの巡礼路沿いの町や、ピレネーの山村には、必ずといっていいほど、ロマネスク建築の足跡があります。
北スペインのムデハル ── スペイン中世美術の独創性
ムデハル様式とは
12 世紀から 15 世紀にかけて、イベリア半島のほぼ全域で用いられたムデハル様式は、中世スペインの歴史を象徴する建築様式です。8 世紀以降イベリア半島を統治したイスラム教徒と、「国土回復運動」を推し進めたキリスト教徒が共存した時代を物語ります。キリスト教徒の美術様式であるロマネスク様式やゴシック様式と、レンガ、木材、タイルなどを使用するイスラム建築が融合し、生まれたのがムデハル建築です。
時代背景
8 世紀から 15 世紀まで続いた国土回復運動のさなか、イベリア半島に暮らしていたキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒は敵になることもあれば、味方になることもありました。北スペインから国土回復運動を始めたキリスト教徒陣営は、少しずつではあるものの、着実に南へと領土を広げていきました。新たにイスラム教徒から奪った土地は、国土回復運動の最前線に近く、危険だったこともあり、入植を進めるために必要な住民の数を確保することは簡単ではありませんでした。そこで、キリスト教徒は、もともと、その土地に暮らしていたイスラム教徒に残留を認めました。キリスト教徒に比べると社会的な身分は低かったものの、信仰・法律・言語を維持することも認められていました。このようにキリスト教の支配下で暮らすイスラム教徒は「ムデハル」と呼ばれました。キリスト教君主はムデハルの建築技術や建築物に次第に魅了されます。幾何学模様を描くレンガ、色とりどりのタイル、星空を写し出したかのような木組み天井、壁面に映し出された光と影は刻々とその姿を変え、まるで生きているかのような建物に圧倒されたのです。こうして、キリスト教建築である教会や要塞、宮殿にイスラム建築の要素を取り入れた、言わば、二つの宗教の美術的融合とも言えるムデハル様式が誕生しました。
特徴
従来のキリスト教建築では、切り石を使用していました。山から切り出すのも、運ぶのも大変な建築資材です。一方、ムデハル建築では、運びやすく、大量生産が可能で、耐久性もあるレンガが使われました。イスラム教徒がレンガを扱う知識に長けていたことが大きな要因です。装飾には、加工しやすく、これまた安価な石膏やタイルが取り入れられます。これらの建築資材は、幾何学模様や植物文様といったイスラム様式と、半円アーチや尖塔アーチといったキリスト教建築が融合する、独自の姿へと変貌を遂げました。レンガの凹凸は 24 時間留まることなく姿を変える光と影を壁面に生み出し、タイルは日光に反射することで、躍動的な建物を演出しました。興味深いのは、これらの建築物が正真正銘のキリスト教建築であったという点です。
例
北スペインを代表するムデハル建築は、世界遺産に登録される「アラゴンのムデハル建築群」です。サラゴサ県とテルエル県の教会や宮殿、鐘楼から構成されています。木材を巧みに使用した格間天井や、美しいタイル装飾を見ることができます。ムデハル様式誕生の地であるレオン県のサグンや、三つの宗教が交差したトレド、グアダルーペ修道院など、北スペイン以外でもムデハル建築を訪ねることができます。
北スペインの大聖堂 ── キリスト教建築のひとつの到達点
都市の発展と建築技術の向上により、それまでの小さなロマネスク建築は、大聖堂へと姿を変えていきました。当時、増加した人口も易々と飲み込む程大きく、天に届きそうな程高く、光がさんさんと差し込む大聖堂は、主にゴシック様式とバロック様式で煌びやかに飾られました。
ゴシック様式とは
13 世紀にフランスで発明され、15 世紀頃まで、ヨーロッパ全域で用いられた美術様式です。厚ぼったい壁に、ずんぐりむっくりとした見た目、小さな教会の中は暗く、細長い窓からわずかに差し込む光が室内を照らしたロマネスク建築から一変、すらりと伸びる高い柱、スリムな壁、ステンドグラスを通して入り込む七色の光が室内を明るく照らすゴシック様式の登場は、その高さと明るさで人びとを圧倒しました。
時代背景
この時代のヨーロッパでは、農業技術の向上により、農作物の生産性が上がり、人口が増えたため、都市が大きな発展を遂げました。ロマネスク様式から引き続き、権力を握った教会の建築に用いられるだけではなく、新たな階級として登場したブルジョワ (商工業者) の邸宅や、市場などの世俗建築にも使用されました。数ある建築物の中でも、文化的、芸術的変化を総括する建築物が、「都市の顔」とも言える大聖堂です。ロマネスク時代と比べ、建物の高さ・幅は格段に伸び、規模の全く異なる大建築へと生まれ変わったのです。
特徴
ゴシック建築の最大の特徴は高さと光です。先の尖った尖塔アーチやドームの重みを柱へと伝達する交差リブ、重量を分散させるために外壁に取り付けられたフライングバットレスなどを取り入れたことで、すらりと背の高い建築物が実現しました。壁だけではなく柱でも建物の重量を支えることができるようになったため、ロマネスクの厚ぼったい壁は薄くなり、大きな窓にはステンドグラスはめ込まれました。薄暗いロマネスク教会から、色とりどりの光が注ぎ込む神聖な空間へと様変わりしたのです。こうして、神は光であるという当時の考え方を象徴するかのような「巨大な舞台装置」が完成しました。
ロマネスク時代は壁に描かれていた宗教画は、その場所をステンドグラスに取って代わられたため、祭壇に設置された衝立へとキャンバスを変えました。4 コマ漫画のように区切られた衝立には、イエス・キリストや聖人の生涯がいきいきと描かれました。正門ファザードを飾る無数の彫刻は、ボリューム感や質感、顔の向き、プロポーションの表現技術が向上し、より自然体でリアルな彫像へと変わりました。
例
北スペインにはスペイン三大大聖堂のうち、2 つが位置しています。ブルゴス大聖堂とレオン大聖堂です。サンティアゴ巡礼路の中でも特に交通量の多い「フランス人の道」に位置する二大都市は、中世に宿場町として大発展を遂げました。その歴史を象徴するかのように、旧市街地の中心部に鎮座するのが大聖堂です。ブルゴス大聖堂はパリのノートルダム大聖堂を模した美しさを持ち、レオン大聖堂にはスペインで最も美しいと称されるステンドグラスがあります。その他にも、ウエスカ大聖堂やサラゴサのエル・サルバドル大聖堂、バルセロナ大聖堂、ジローナ大聖堂でもゴシック建築ならではの気品ある佇まいを感じることができます。
バロック様式とは
16 世紀末から 17 世紀初頭にかけて、イタリアで誕生したバロック様式もまた、北スペインの大聖堂を特徴づける美術様式のひとつです。スペイン、フランス、ドイツ、イギリスなどヨーロッパ各地へ広がった国際的なバロック様式は、「ゆがんだ真珠」を意味することからも分かるように、豪華で、華やかで、仰々しく、圧倒的な視覚効果を持つ美術様式です。
時代背景
バロック様式は、キリスト教世界が揺れ動いた、反宗教改革の中で発展を遂げました。視覚に訴え、感情を揺さぶる宗教的、政治的プロパガンダとしての役割を大きく担っていたのです。つい感情移入してしまう演劇性と華麗さは、フランスのベルサイユ宮殿や、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂の主祭壇に顕著に表れています。
特徴
ルネサンス様式の均衡のとれた美しさを覆すようにして現れたバロック様式は、誇張され、引き伸ばされ、揺れ動くようなドラマチック性と色彩が特徴です。建築や彫刻の分野でもその特徴ははっきりと見て取ることができます。主祭壇に設置された天蓋は、「ソロモンの柱」と呼ばれる曲線を描くねじれ柱で支えられ、金箔に覆われた祭壇は光輝きます。小礼拝堂に保管されているイエス・キリストの磔刑像や十字架降下像は、聖週間が来ると山車に乗せられ市内を練り歩き、見る者に痛みや悲しみ訴えかけました。
例
北スペインでは、キリスト教信仰の象徴的な街にバロック建築が残っています。聖地サンティアゴ大聖堂では、建物の顔とも言える壮大なファザードと主祭壇の光り輝く天蓋装飾にバロック様式が使われています。聖母マリア信仰の中心地であるサラゴサには、スペイン最大のバロック建築である聖母ピラール大聖堂が建っています。また、カスティーリャ・イ・レオン州の州都バジャドリッドの国立彫刻美術館では、祭壇衝立を飾ったバロック彫刻を間近で鑑賞することができます。
北スペインのモデルニスモ ── 新たに芽生えた芸術の概念
モデルニスモ様式とは
19 世紀末から 20 世紀初頭にかけて、それまでの芸術とは一線を画す美術運動が生まれます。フランスで「アール・ヌーボー (新しい芸術) 」と呼ばれた美術運動は、それまでの美術様式にヒントを得ながらも、全く様相の異なる精神性と造形で美術界に衝撃を与えました。ポスターデザインで人気を博したチェコ出身のミュシャや、植物の壁紙で有名なイギリスのウィリアム・モリス、ウィーン画家のクリムトなどを筆頭にヨーロッパ全域で巻き起こった芸術運動は、スペインにおいてはカタルーニャで「モデルニスモ」という名のもと開花しました。
時代背景
スペインでは、カタルーニャを舞台に「モデルニスモ」と呼ばれるこの土地独自の運動が展開されます。スペインで唯一、産業革命を成し遂げたカタルーニャでは、貿易や製鉄業、繊維業で富を成した資本家たちが芸術運動を支援し、カタルーニャのアイデンティティーを求める地域性と相まって、圧倒的なエネルギーを生み出しながら、モデルニスモ運動が進められました。
特徴
産業革命を経て工業化を進めたカタルーニャで使用されるようになった鉄材やコンクリートをはじめ、レンガやガラスなどの建築資材、曲線を多用した滑らかなシルエット、植物や動物など自然由来のモチーフなどに特徴を持つ芸術運動は、建築、デザイン、絵画、彫刻と様々な芸術分野で取り入れられました。特に建築分野においては、住宅、別荘、病院、学校、教会、修道院、工場、酒蔵などに用いられ、現在のバルセロナの街並みをつくり出した美術様式のひとつです。
例
代表例は、ガウディ建築です。ゴシック様式やムデハル様式、バッロク様式など過去の美術様式を取り入れながらも、独自の技術と研究、感性を唯一無二の総合芸術へと見事に昇華させました。バルセロナにあるサグラダ・ファミリア教会、ミラ邸、グエル邸、バッジョ邸、グエル公園などの名建築に加えて、コミージャスの「奇想館」、アストルガの司教館、レオンのボティン邸など、北スペインの他地域にもモデルニスモ建築を残しています。
ガウディの師匠であり、当時はガウディよりも高く評価されていた、建築家ドメネク・イ・モンタネールもモデルニスモ建築を語る上で欠かすことのできない人物です。サグラダ・ファミリア教会と対峙するように建つサン・パウ病院、旧市街地に華やかに建つカタルーニャ音楽堂など、どこかチャーミングで品のある作品を残しています。
その他にも、絵画、彫刻、家具など様々な分野でカタルーニャを彩ったモデルニスモ様式は、バルセロナのモンジュイックの丘の中腹にあるカタルーニャ国立美術館のモデルニスモ・セクションで時代を追いながらじっくりと鑑賞することができます。
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